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むちの池の錦絵

 投稿者:しゃりき亭  投稿日:2006年12月16日(土)17時20分25秒 d58.GtokyoFL4.vectant.ne.jp
  前の「松平容保も忘れないで」の写真は四谷松平邸があったと思われる現在の場所です。
マンションが建っていて、真ん中に道路も通っています。

「むちの池の錦絵」これはすごいです。
明治5年に画かれたことになっております。「四ツ谷伝馬町新開写真図」の左半分。
なぜかこの「四ツ谷」には真ん中に「ツ」が入っています。「四ツ谷駅」が最初かと思っていましたが、違うのかな・・・

http://http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2004/0901/nto0901_14.asp

 


松平容保も忘れないで。

 投稿者:しゃりき亭  投稿日:2006年12月16日(土)17時08分59秒 d58.GtokyoFL4.vectant.ne.jp
  四谷の歴史で忘れてほしくないのが、「松平容保(かたもり)」です。
あまり知られていないのですが、松平容保は荒木町十九番地にあった「四谷松平邸(写真)」で1835年12月29日に生まれたそうです。その後、会津藩主になり京都守護職に就きます。そして、京都の治安を維持するため新撰組ともかかわりますが、桂小五郎、高杉晋作や坂本竜馬の薩長連合と相対することとなる。

 容保は非常に誠実な人物であったようだが、体力的には真にひ弱だったようだ。幕末歴史のいたるところで登場するが、病気で臥せっていることがたびたびあった。
 戊辰の乱で京都を追い出され、江戸に着くがすぐに会津に逃げ出す。会津も負われ下北半島への逃避行が続く。
 時代の流れは開国に傾いていたのだろうが、容保にいまひとつの体力があれば幕末の歴史は大きく変わっていたかもしれない。
 そして、創られた明治政府は薩摩藩や長州藩の人々が重要ポストを牛耳り、それが今の自民党政治にもつながっているようである。

 「勝てば官軍」そのおごりが昨日の「教育基本法」のすんなり成立ややりたい放題の「TMミーティング」につながっているといったら過言であろうか。こんなことがまだまだ続くのだろうか、恐ろしい。

 おっと、何で容保が「TM]になってしまったのだろう・・

つまり、容保で荒木町の街おこしが出来ないかと考えておりまして、毎月29日(12月29日生まれの容保にちなみ)を「容保の日」と勝手に定め、「ランチタイム50円引き」を行なっています。

 ちなみに容保は46歳で徳川家康を祀った日光東照宮の宮司になり、59歳(明治29年)に歿している。最後まで徳川家を護ろうとした。

 今の「河童池」はあの100倍の広さはあったであろう「策(むち)の池」の滝壺の跡で、それはまさしく、四谷松平邸の庭にあった大きな池なのである。

 廃藩置県でその池は東京市に払い下げられ、庶民の憩いの場となり、池に小船を浮かべたり、泳いだりしたようだ。湖畔には茶店が立ち並び、それが花街へと発展した荒木町の足がかりになった。
 昭和58年ごろ花柳界は消滅するのだが、その後、荒木町は飲食店街に変貌し、今にいたっている。

 つまり、松平家が荒木町にあったおかげで我々飲食店は営んでいるわけです。

どうも、書き出すと長くなってしまって、年かもしれない・・・

http://http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2004/0901/nto0901_14.asp

 

服部半蔵の槍は・・

 投稿者:MT知人  投稿日:2006年12月 8日(金)21時08分13秒 tsechttp04.sec.nifty.com
  若葉町の西念寺ですね。本堂に飾ってあるとか・・。お葬式で行ったときに、説明を受けました。お寺多いですよね〜。
玉川兄弟ね。今、区長も支援して、玉川上水のことで、大きく動いていますよね。よく集まりがあるようで、・・・
育成会の史跡めぐりで、子どもと勉強したのは、「大木戸門」のこと、「内藤新宿」「太宗寺の閻魔様」、本当に、いろいろなところで歴史に触れることのできる町です。子どものほうが良く知っているかも状態〜。
 

いらっしゃいませ

 投稿者:どっこい酒  投稿日:2006年12月 8日(金)17時04分21秒 i218-224-191-88.s06.a013.ap.plala.or.jp
  はじめまして。これからもよろしくお願いいたします。
最近の四谷地区は歴史や文化の散策で人気があるようで、服部半蔵の「槍」もどこかのお寺さんに保管されているようですね。
後は、玉川兄弟!
 

いらっしゃいませ達人さん。

 投稿者:MT知人  投稿日:2006年12月 7日(木)21時09分9秒 tsechttp05.sec.nifty.com
  はじめまして。
四谷は、本当に、いろいろな歴史深いことだらけ。
まだまだ勉強不足です。また、何か思い出したら、お知らせくださいね。
三菱鉛筆発祥とか、与謝野鉄幹とか・・いろいろあるようです。
 

(無題)

 投稿者:達人  投稿日:2006年12月 5日(火)17時38分25秒 M010095.ppp.dion.ne.jp
  四谷四小卒、四谷一中卒の生粋の四谷人です。今は埼玉ですが。

四谷辺は、よくマスコミや小説に取り上げられますね。
最近も渡辺淳一の小説に荒木町が描写されていました。

小説といえば、芥川龍之介が晩年に友人に出した手紙の中に、「近頃、自分は四谷荒木町の谷底のような場所に入り浸っています。」という文があります。四谷荒木町の谷底のような所といえば、河童池のところじゃないか、とも思うんですが。

そういえば、やはり、最晩年の傑作に「河童」という作品がありますね。その添え書きにわざわざ「『かっぱ』と読んでください。」と書いてあり、これが古来謎とされてきましたが、「河童池」からヒントを得たとすれば、この謎も解けそうですね。


ところで、離れてみて思ったのですが、四谷の辺は史跡の宝庫でもありますね。それも人気者関連の。

例えば、かの「鬼平(長谷川平蔵)」の役宅は三栄公園の道路一つ隔てた向かい側(税務署と反対側)にあったらしいし、新撰組の近藤勇が道場主だった士衛館と呼ばれる道場も牛込柳町にあったらしい。

確か塩原太助横丁もあったと思います。
 

そうそう・・中高生は・・

 投稿者:MT知人  投稿日:2006年11月29日(水)20時40分53秒 tsechttp04.sec.nifty.com
  今、防音ができるかどうかで、できるかどうか・・なのが、スタジオです。
四谷中でも、バンドが流行っていて、毎年、三月の地域センターのお祭りとタイアップした八校会で主催の音楽祭に、いつくものバンドが参加しています。
この練習場を提供してあげたい。
 

ふむふむ

 投稿者:MT知人  投稿日:2006年11月29日(水)20時30分34秒 tsechttp04.sec.nifty.com
  早いレスをありがとう。
陶芸教室については、元の図工の先生を近隣の人たちが支えたNPOとなっている関係もあります。卒業生の憩いの場にもなれば、と期待しています。子どもたちのため、大人たちのための工作教室などもあるようです・・が、まだ検討中のため、このへんで・・。
運営委員会の準備会が今、話をすすめていますが、さらに今後、運営委員会に変わります。この運営委員会では、パソコン教室や映画会、地域の物産展示(案)、いろいろと検討中。
また、交流についてもかなり世代間交流についても熱心に議論がされているところです。
また、おもちゃ美術館では、おもちゃドクターという人材を育成してもいます。NHKとかでも、よくとりあげられています。病院をまわって、高齢者のためのおもちゃなどを提供し、リハビリのアドバイス等も行っているようです。おもちゃの貸出しもしたいような話が出ています。
その他、卓球ができるといいね。と、施設開放団体だけではなく、一般開放も検討中。
団体登録に、ダンスや諸団体が登録してくれる可能性も大。貸し部屋で収入をあげ、最低限かかる人件費などを稼がねば・・という状態。
四谷冒険あそびの会も関わることになると思いますし、施設開放利用者団体や、四谷スポーツ交流会、ガールスカウト、諸団体が今、話しあいに参加してくれています。
結構、思いが溢れた話しあいがされているので、期待しています。
 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

確かに…

 投稿者:どっこい酒  投稿日:2006年11月29日(水)17時36分57秒 i220-109-159-15.s06.a013.ap.plala.or.jp
  色々な意見があるとの前提で読んでくださいね!

例えば陶芸教室を挙げると、基本的に陶芸を生業としたい人に格安で場所の提供をするのですが、貸す条件として材料費のみで教室を開いてもらったり、SOHOで借りたいのであれば、パソコン教室等々、ものづくりと教室の共栄共存の試みをしてみて、旧校舎をその借りた人の生活の拠点に使ってもらえれば、常に誰かしら人が居るとの意味でコミュニケーションがとりやすい環境作りにつながるような気がします。

おもちゃ美術館であれば、修理も小額有償にて受け付けますとか、視覚障害者のギャラリーであれば、手話の教室を開くとか、何かをやるのであれば、その何かからもう一歩踏み出したものを続けていくことが興味を引くことになるような気がします。

もちろん、子育てサークルやフリースペースも大事ですし、お年寄りと子供たちの交流で、昔の遊びやちょっとした細工の教室も良いかと思います。

ただ、中高生がとなると…これまた難しいですね。
 

う〜ん。×2

 投稿者:MT知人  投稿日:2006年11月29日(水)17時05分16秒 tsechttp04.sec.nifty.com
  返し手か・・あっついんだよね。さらに、太ったおばさんには、中腰がつらい。
あちこちで手伝ったりもするけど、1臼が限度かな。あははは。
さらに、跡地でう〜ん。
四四小の跡地は、違うんだよね〜。コンセプトが・・。
住民の力を結集したいってのが、第一の根底にあり。まずは、ここは避難所であるということが第一の残してもらった理由のひとつ。毎年、防災訓練して思っていたことの一つとして、7000人の避難所であり、昼間の人口はもっとすごい。それを災害のときには、行政を頼るなと行政に言われつづけ、練習をしているわけ。ところが、統合のときには、統合後、どこに避難するのかと聞いたときに、『屋根があるかないかは避難所としては関係ない』と言われた。なにせ、花園小だって、6000人だよ。第六だって、2中の統合で左門町が加わり、さらに増えた。第三がなくなる。この避難所としての機能をもたせたまま、跡地利用を考えたら、自治意外考えられない。2中は、すでに跡地になる前に、専門学校との契約がなされていた。
NPOに部屋を貸すことで、区に収入が入り、光熱費などを区が助成してくれる。さらに避難の必要が生じたときに、部屋の融通をきかせてもらうことになっている。
さらには、この地には、なにげなくいてもいいという場所がない。中高生が忙しい合間に、約束をしなくても、集まれる場所は絶対に必要で、一人暮らしのお年寄りが地域見守りの人たちだけでなく、関われる場所はとても大事。何かが行われている、イベントに参加するだけではない空間を作りたいと理想をもって接しています。この思いをぶつけながら、関わっているだけで、決まったことではないです。でも、集まっている運営の人たちには、その思いが共有されていると感じています。
今回、おもちゃ美術館がNPOとして入ります。http://www.toy-art.co.jp/museum.html
また、元・図工の先生が、NPOを作り、親子陶芸教室やギャラリー、視覚障害のためのギャラリーなど、地元に根付いた芸術活動を行ってくれます。
半分の校舎は、文化村として、かなり期待をしています。本当に、いろいろな出会いで、この二つのNPOが思いをこめて、協働してくれます。
4月に跡地になり、耐震工事のための検査や業者選びなどがあり、その後、9月〜工事が始まります。エレベータも設置がされることになっています。(ハートビル法で義務)
予定では、20年の2月にオープン・・・予定。工事次第。
跡地利用で、様々な取り組みが各地でされていますが、住民自治で一般開放型は初めての取組みのよう・・。例がないので、かなり大変かもしれません。
お年寄りの健康体操や生き生き広場、子育て支援、みんなのひろぱ、三校合併にともなうメモリアルルームなど、いろいろな話が出ています。次回、12月15日、第四小学校のランチルームで、運営協議会準備会が開催されます。ご興味のある方は、四谷特別出張所へ。
 
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